本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

たまには真理

真理に至る過程は人それぞれであるが、僕は最初は哲学関係だったと思う。
小さい頃から「生きる意味」って何?という疑問が常に付いてまわり、他の人達が全然疑問に感じないのが非常に不思議でならなかったのだ。それと星の世界も疑問を投げかけてくれた。

宇宙はどうなっているのだろうか?という疑問が非常に強かった。
宇宙について学んでいる人達の中でもそのような疑問を持って機材を追いかけてしまう人がいる。
残念ながらそのような人は方向を間違えてしまっている。
分解能とかレンズの特性に走ってしまうのは残念ながら想像をしぼませる方向になる。
僕ももっといい機材があればとか、もっといい条件があればなどと思ってみたが、どうも最初に想像していた宇宙とは違った方向に進んで行くのが否めなくなってきた。
一番に感じたことはそういうことをやっていてもどうもおもしろくない。
最初はこんなんじゃなかったのに。。。

そこで何が原因なのか考えてみた。
そうすると僕は宇宙を知ろうとするのではなく、僕のすでに知っている宇宙にこれから知るであろう宇宙にすべて当てはめる、当て嵌めてしまおうという考えに気付き始めた。
そんなやり方にわくわくするはずはない。

この宇宙にある真理とは何なのか?何を基準に法則はあるのか?
どうして宇宙を知ることが出来る人間がいるのか?
そんな疑問を解決すべく勉強していったものだ。

それを知るためには物理学を知る必要があるということになり、いろいろと勉強してみたりした。
ところがおもしろいことに最初に決めているものは人間の心だということを知り、今度は心理学を勉強してみたりもした。

私たちはものごとが決まっているといつも思っているが、実際には「決めている」というのが正解だ。
その理由はこの宇宙に同じものは2つ存在しないからである。
日々変化していくこの宇宙のものに常に同じものはなく、似たようなものがあるだけだ。
その似たようなものに過去の知識を照らし合わせて、それと同じ名前でインプットする。
それが私たちが行っている学習だ。
同じものが2つ存在しないのなら、新しいものは自分で決めているとしか言いようがないだろう。
しかし私たちはそうは言わずに過去の何かと同じものとして扱う。
これではものごとが真実から遠ざかっていくのは仕方ない。
そして いつかあまりにも真実から遠ざかる量が多すぎて誰の目から見ても、違いが見て取れる状態になって初めて違うものとして扱われる。

そこまで行かずに微妙な線でそれが常態化すると逆に今度は「~でなければならない」という経験則が出来上がり、それと異なったデータに対してインチキ扱いしたりデタラメだと言ったりする。
その思考方法が進むとデータを既存のデータに合わせる改ざんや捏造などといったことが平気で行われたりするようになる。変化は決まりきった考え方をしている人には恐怖なのだ。

今一度言わせていただければ、「同じものは2つ存在しない」ということである。
私たちが何の疑問も持たずに過ごしているとき、そこにはついさっきのものとは違っているもので構成されたもので成り立っているものがある。その次の瞬間にももう変化している。そのことに気付けるだろうか?私たちは同じものとして認識していないだろうか?
変化。。。それが真理です。


「マスターは「今の瞬間」を---いま、ここで起こっていることを---以前に経験した瞬間の再現としてではなく、またその経験を中心に築き上げた物語としてではなく、ありのままに見る」

僕もそうありたい。。。