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本当のところはどうなの???

死後幽霊にならないようにするために-2

私たちが物質を「固定したもの」と信じている限り、幽霊はなくならないだろう。
物質とはエネルギーであり、動きである。
しかし動きが遅く見えるために、固定されたものに見える。
あるいは動いてないように見える。
実際には動いている。
動いているどころか、その物質の「性質」を維持させるために内部では電子が激しく動いている。
またその電子ですら目に見えないほどの速さのエネルギーが電子という性質を維持させるために激しく動いている。
このように考えるべきだろう。
 
幽霊をなくすため、ならないためには霊的な知識と相対的な認識を得ることが大切なことである。
すべてのものは宇宙にひとつしか存在しない。
そしてその存在自体ですら常に変化していると。
それは考え方、概念においても同じである。
あるときの概念と今の概念は同じように思えるかもしれないけど、それも常に変化している。
同じ概念すら存在していない。
これが宇宙の真理だけれど、今はそれに気付くことすら難しい。
固定したもの、絶対的なものは存在しない。概念でさえも。
 
 
幽霊となって人々を驚かそうとしている者達にもカルマは作用している。
私たちが知ることの出来る宇宙全体にわたってカルマが作用してない場所はないらしい。
そして偶然というものもなく、何らかの法則によって幽霊も出現する。
 
幽霊を出現させないためには先ず「知ること」。
従って、無知が幽霊を出現させる原因であることを知るべきだろう。
 
自分は本当は何者でここで何をしているのか?
何のためにこの世に出てきて死んでいくか?
死とはいったい何なのか?
本当に自分を殺すことなど出来るのか?
 
これらの疑問は文字通り無知から来ているものであり、現代のような物質中心社会ではより理解を困難にさせているような状況である。
 
全ての出来事には理由があり、偶然は存在しない。
どのような理由かというと、「意識の成長のため」である。
 
自分の人生は他の人に代わってもらうことは不可能である。
 
なぜならば全ての出来事を判断しているのは自分だからである。
ある人にとってはつらい体験でも違う人にとっては意識を成長させる有意義な体験ともなりえる。
当事者でなければそれは判断できない。
そして成長するためには困難が付き物である。
 
成長を望めば困難も軽く思える。
一方、成長を望まなければ困難はつらく感じられる。
つらく感じれば他人を恨む人生となるかもしれないし、妬みの人生ともなりえる。
また恨みを残したまま幽霊となり他人に危害を加えようとするかもしれない。
あるいは憑依して自殺させようとしたりするかもしれない。
 
このように自分で選択した考え方によって持つ感情が異なってくる。
これは無知から起こることなのである。
 
いつまでも幽霊がいるとかいないとか、そのような議論をするのではなく(幽霊は厳密には証明出来ない)、人類とはいったい何なのか?生きる意味とは何なのか?といった方向へと向かわなければならないだろう。