本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

無限ということ

現代科学と真理との大きな違いは、現代科学では無限がいくつもあると想像されている?または無限というものに関して有限の知識を適合させようとしている。真理では無限は1つしかない。1つの無限、1つの「絶対」があるだけである。
なぜそのようなことが言えるのか?
なぜ「無限」が1つしか存在しないのか?

そもそも「無限」とは制限の無いことである。
制限とは何だろう?
制限とは「Aはこれこれこういうものですよ」ということである。
または条件を付けてそれに該当しないもの?
本来「無限」とはどういうものなのか?などと説明することも出来ないものなのであるが、私たちは本当に簡易的な説明で納得してしまっている。ここで根本的な間違いをおかしてしまっている。
今ここで改めて説明すると「無限」は絶対に定義できない。そういうもの。
これがわかれば問題はない。
そしてこの1つの「無限」というものが実は1つの「絶対」ということである。
式で表せば、
「無限」=「絶対」
になる。
だから「絶対」も本来説明することは出来ないものなのだ。
両者は同じものなのだから。。。

その「絶対」の内部に様々な相対的性質、属性が現れている。まあここで言うところの内部という言い方もおかしいけれど、おかしいというのは内部に対応する外部というものが無いからだ。
「絶対」の他に何もないのだから、それよりも「外」というものもない。

属性を知るということは他との比較以外の何ものでもない。
それは私たちの感覚と密接に関係している。
感覚器として例えば光を感じるという網膜。
網膜は眼球というレンズを通して結像した光を見ているので、そのままの光を見ているわけではない。
加工されたデータを見ていることになる。
だから私たちに見えるものというのは眼球というレンズを通したものしか見えないことになっている。
この時点で真実ではないものを見ているわけである。
ありのままの情報を見ているものではない。

音にしてもそうである。
耳という特定の器官から得た情報なので、そこに本質とは異なったものを聴くことになる。
その他の感覚器官も同様のことが言える。
私たちが知ることの出来るすべてのものは対象そのものではなく、レンズが焦点を結ぶように特定のエネルギーが強調されたごく一部の情報であることを認識してほしい。
当然それらの情報はどこかが強調される代わりに弱められている。
このようにして、真実とは異なった情報を私たちは真実だと思っている。

それらの情報を元に展開された法則とはどういうことなのか?
ここで直観の働く方には直ぐにわかるはずだ。

実は宇宙での法則とはこのような「私と思っているもの」と「感覚器官」と「自分以外のものと認識するもの」との関係を表しているのである。つまり「私と思っているもの」が「感覚器官」によって自分以外のものと認識するもの」に映し出される、または映し出す関係と言っても良い。

これまでの科学者はもちろん、哲学者でもこの関係を説明している人を私は知らない。
もちろん霊的な老師は気が付いているが、説明してもわからないので言わない。
しかしよくよく考えてみればこの関係は明らかなことである。

私が思うには人類の意識というのはようやくこれらの関係を把握し始めることが出来る段階にまで来たのではないかと言う事を実感する。

「知る」ということはどういうことなのか?
「知る」ということは比較することである。
比較して違いが認識出来なければ同じとみなすことである。
違いがあれば、新しい属性として記憶する。
例えばパタンマッチングのようなものだ。
対象の本質は気にしなくてもいい。
対象が今までに自分が知っていたものと同じものとみなすか、違うものとみなすか。
パタンマッチングには原型がある。
図形であれば、点とか○とか□とか△とか単純な図形が原型である。
その原型と比較して知識というものは積上げられて行く。
その作業を「知る」と読んでいる。
それが積上げられたものが知識である。



ところが宇宙には同じものなど存在しない。
そこに現代科学の矛盾点がある。
それでは真理には到達できない。


例えば、limx→∞などという記号。
真理から見れば、特定の属性(この場合はxということ)が∞になることは有り得ない。
なぜならば、xというのは1つの属性であり、そのひとつの属性がすべて∞になることなど絶対に起こらないからだ。
しかし現代科学では絶対の自信のもと、このことが信じられているからもうどうしようもない。
そもそも無限とは制限のないことであって、理解という限定というものとは相反するものなのだ。

すべての属性の中でひとつの属性を捉えたとき、その属性というものはそれ以外の属性と比較して認識されたものである。
宇宙においては属性というものを表すならば、ベクトルの出発点は同じであるがそのベクトルはすべて別方向を向いている。
そしてそのベクトルの総和は0である。
これが真理である。


なぜならば、性質とはひとつひとつが他の性質と比較されたものだからである。
これを宇宙全体に亘って行うと、元の位置に戻ってきてしまう。

ひとつの属性が変化するためには、その他の属性も変化してしまうのである。
x→∞というのはxという性質を維持したまま∞へと変化するということである。