本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

物事は決まっているのか?

神との対話」という本によって気付かされた最大のことは、物事はすべて自分で決めているということである。この本を読んでこれをまったく理解しないで素通りしてしまう人があまりにも多過ぎる。まったくもったいないことだ。おそらくこの考え方が一般的になるのは、例えばキリストが再臨したり、経済崩壊が起こり、今のやり方が人類にとってまったく良い方向に向かっていないということに気付いたとき、あるいは何だろう?何か特別なイベントが起こらない限りは300年は掛かるだろうな。
とにかくこんな本が出ているというのに、その意味がわからないのは非常にもったいないということだ。

例えば人間が死ぬとき、生きているという時点と死んだという時点の明確なはっきりとした線引きは出来ない。
瞳孔が開けば死んだなどというが、開いているどの瞬間を言うのだろうか?医者が開き切ったと思ったとき?いや、まだ開いて行くかもしれない、もしかしたら閉じるかもしれない。そんな状況なのだ。もしかしたら開くその瞬間?
そもそも死というのはプロセスであって瞬間などではない。瞬間---もし時間を止めてしまったらすべての物質の性質は無くなる。もちろんそんなことは起こらないが、物質は目に見えないさらに小さな粒子(と言っていいのだろうか?)が、その物質の性質を維持させるためにさらに速い速度で動いている。死のプロセスでもこの速い粒子の運動は止まらない。止まらないのだから当然、瞬間という0の時間はない。
物質というのはある性質を維持しているが、それは常に変化し続ける。
そういう意味で物質に同じものはない。同じ様に見えているだけだ。
死というプロセスにしたって、同じ死などというものはない。
ということは、死であれ、生であれ、それを何と決めるかということはすべて個人の選択に掛かっているということになる。つまり私たち一人一が対象に対してどの様に定義付けをするかだけなのである。定義付けをするということは、対象をその対象以外のものと分離したということを表す。だってそうでしょう。明確な線引きなどないのだから。ここに個人の責任で物事を「理解」したということが成り立った。
すべての物事は自分で決めている。
それによって宇宙全体においての「自分」というものが決定する。

生命は常に「自分とは何者なのか」と問うプロセスになる。