本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

死後には時間は存在しなくなる

これは『神との対話』の3巻を読んでいたときに気付いたこと。
多分この部分は多くの人がスルーしてしまっていると思うので私の解釈を付け加えておくことにした。
 
「そう。大宇宙のレベルでは、岩と同時に岩のなかの動きが見える。原子の動きと原子が創造している岩のみかけとのあいだに、「時間のずれ」はない。原子が動いていても、岩は「存在する」。それどころか、動いているからこそ存在する。原因と結果が同時に起こっている。「同時に」動きがあり、岩が「ある」。「死」を迎えたとき、魂はそのことを悟る。要するに視点が変わるのだ。もっと多くが見えるし、理解できる。
死後には、理解に限界がなくなる。岩を見、同時に岩のなかを見られる。いまの時点では非常に複雑な生命現象に見えるものでも、「もちろん、そうだろう」と思う。すべてが非常にはっきりする。
そのときには、またべつの神秘についても考えるだろう。宇宙の車輪を回っていくにつれて、もっともっと大きな現実、もっともっと大きな真実に出会う。」
 
この物質界での生活とこの物質界を離れたときの違いがここに書かれている。
おそらくほとんどの人はこの部分を読み飛ばしてしまうと思われるが、もっと重要なことが書かれているのがこの部分だ。
つまり、この物質界では原子は固定されたものとして認識されているが、肉体から離れれば原子が動くことによってその物質の性質維持されているということがこの部分に書かれていることなのである。
時間が存在するというのはこの場合、時間差があるということであり対象が止まって見える、あるいは止まっていることにしてしまうことにより生ずるものであるということである。このことにより真実では止まっていないものなのに止まっていると仮定することにより「岩」と「原子」との間に時間差が出来てしまう。いや、実際には原子が動くことにより「岩」が存在しているのだが、人間の目には止まっている様に見えてしまうため止まっているものとしてしまう。そこに時間という概念が生じていると「神との対話」では言っているのである。
この部分は今の人類にとっては非常に難しい概念ではないだろうか?
しかしなんとなく読んでいたこの部分に「時間」が生じたことの原因が書かれていたのだ。