本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

すべてがわかる瞬間までわかったとは言えない

すべてがわかる瞬間までわかったとは言えない---ずいぶん厳しい言い方かもしれないが、真理に関してはそうなのです。
よく現代の思考イメージだとものごとがわかるというのは積み木を一つ一つ積み重ねていくような、そんなイメージを持っていませんか?
真理ではその積み木の1つ1つが「わからない不定なもの」として捉えられているので、文字通りすべてがわかるまでわかったことにはならないのです。
例えば、今これだけは「絶対に確信している」ことでも見方を変えれば変化してしまうものなのです。
すべてのことにおいて、絶対的な性質というものはありません。
ですから今信じていることは今だけのものであってやがて通用しなくなります。
現代から過去を振り返ってみても同様のことが言えるでしょう。
ここでひとつひとつ積み木を重ねていくという思考方法は現代人ならではのものだということを認めていかなければなりません。
真理は本当にある一点において集結するようなイメージがあります。
まったく関係の無さそうなものがその一点においてすべて関係のあるものに変わります。
変わりますというのは変な言い方ですね。
もう少し近い言い方をすれば、自分の見方が変化します、ですね。
現象はあってもそれを意識のレベルが変わることによってすべてのものが見通せるようになっていきます。
現代人の意識レベルはまだそれほど高いものではありません。
ましてや物質しか存在しないと思っている、いやその物質のことでさえ何のことだかわかっていないのですから。
仏陀の前にもクリシュナがいました。
仏陀の後にもキリストがいました。
皆、同じことを言おうとしています。
それは真理です。
真理は実はこうなっているのだと、表現することが出来ないものを表現しようとしてきました。 
現代人、古い思考を捨て「すべてがわかるまでわかったとは言えない」の意味を考えてみるべきではありませんか?