本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

真理について

これまで何度も真理について書いてきたのですが、現状を見てみるとほとんどの人にとって興味の対象ではないようです。
それに私がなんとかしようと少ない表現力を使ってここにも書いてきたのですが、得るものは自分の文才の無さと文章を纏める力の無さに気づくことくらいです。

真理はどうして人間の興味から無くなってしまったのでしょう?
それでも思春期の頃は感じたのかもしれません。
自分はどうして生きているのだろうか?と。
それは間違い無く魂からの問いかけなのです。
なぜ思春期なのかと言うと感受性が最も高くなる時だからです。
肉体が完成し、まだ固定概念が定着する前に魂は人間の頭脳に最も影響力を与えることが出来るのでしょう。

もっともそれ以降は如何に固定概念を定着させて行くかが人間活動の主な中心となり、魂のことなどは全く気にも留めなくなります。

そして宗教。
宗教ほど魂から遠ざけるものはありません。
私がここに書いてきたものも宗教的と捉えられるのかもしれませんが、全く違うのですよ。

先ず真理というのは証明や説明が無くても存在するもの。
それはなんでしょう?
ひとつには自分自身の存在。
これは絶対に否定出来ません。
だからこれは真理なのです。
死んだら自分が無くなると信じている人が多いですが、これは真理なので絶対に無くなりません。
あなたが神であるという真理、まさにこの真理に気付くまでは人間は何度も「死ぬこと」が出来ます。
そしてふたつ目の真理は、あなたが何かを見て「感動した」「思ってしまった」という心を動かしてしまったという真実。
これも真理です。
これも否定出来ません。
結果としてこの動いた心はあなたが服を纏うように纏わり付き「あなた」という個性を強めます。

しかし目に見えるものは真実ではありません。
それは脳という器官で編集され「私」に対して知覚されているので、真実ではありません。
しかし「知覚した」というその現象だけは真実であります。
同様に「聞こえた」ということに関しても真実ではありません。

よく空耳だとか自分は聞こえたのに他人には聞こえなかったという現象での事実は、「自分は聞こえたけど他人には聞こえなかった」という事実です。
これが真理なのであって、そして空耳として解決したのなら、「それを空耳とした」ということが真実なのです。

どうでしょうか?
宗教は特定の「何か」を信じさせる。
真理は真実を気付かせる。

わかっていただけたでしょうか?