本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

デカルト

デカルトという人がいた。
彼は「我思う故に我在り」という言葉を残した。
まあもちろんこれは和訳であるが。
この言葉を昔聞いたとき相当のショックを受けたことを覚えている。
今になって思えばあの頃は未熟だったと思う。
この言葉には「思う」と「在る」が同一視されているということが表れている。
実際にはこの2つはまったく違ったものである。
なぜならば「思う」というのは過去の何かと比べてどうであるか?ということを表すのに対し、「在る」というのは過去は一切関係しないものだからである。
在るというのはただ「在る」ということである。そこに思考が挟める隙間はないのである。
哲学は思考である。
だから哲学では真理に到達できない。
何かと比べている間は、そのループから抜け出すことはできない。

「理性のゆらぎ」という本があった。
この本で僕は真理への方向転換をすることができた。
というのも、それ以前はユングなどの心理学の本を読んでいてどうしても分らない点があった。
どうしても現代科学のアプローチは過去の経験をもとにするので、その延長線上でしかものごとを考えられない。だから未知の領域、過去に遭遇した経験がないものに対しては、その先はどうなっているんだ?とい疑問に答えられないのだ。
そう、ユングの本はその疑問を投げかけてくれるものだった。
ところが「理性のゆらぎ」を読み、すべては繋がった。
これを読んでみんなが気付けるとは思わないが、真理を探究する求道者ならばわかるだろう。
そのときから全ては思い込みから生じていたものなんだ、ということに気付く。
そして自分がいかに世の中の常識に騙されていたかもわかるようになる。
はっきりと言ってしまえば、常識の95%以上は単純にそう思い込んでいるからそうなっているだけのことである。いや、パーセンテイジで言ってしまえばもっとすごいことになっているだろう。
真理を知れば、信じることはなくなる。
まして神を信じるなんてこともない。
神を崇拝することもなく、ただありのままをみることができるようになる。
この世の中のすべては共同で協力してお互いを体験していることに気付く。
極悪人ですら役者の一人であることを知るだろう。
その反対を知るための。。。