本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

罪というものがあるとすれば、これがそうだろう。

以前にも書いたことがありますが、「罪」ということについて。。。
 
何度も書いていますが、すべての出来事は「偶然」には起こりません。
「偶然」とは人間の定めた「限界」以上のことです。
ですから「偶然」という考え方はまさしく人間中心理論ということになります。
以前は偶然と思えたものもデータが集まれば、そこに規則性を見い出すことが出来る様になり、「偶然」というものが人間の意識の上でどんどん無くなって来る、ということなのです。
 
偶然は無い。
それゆえに起こっている出来事には何らかの「意味」がある。
その「意味」とは自分の固定観念を緩め、意識を拡大させるということ。
それもすべての出来事に対して。
 
ニルードウナルド:
あなたは「自分の価値観に従いなさい」と言われたが、同時に、わたしたちの価値観はすべて間違っているとも言った。そこをわかるように説明してください。
 
 あなたの価値観が間違っていると言ったのではない。しかし、正しいとも言わなかった。それは、ただの判断だ。評価すること、価値を決めることだ。しかも、たいていの場合、その決定はあなたがたではなく、誰か他人決めている。あなたの親かもしれない。宗教かもしれない。教師、歴史家、政治家かもしれない。
 
あなたが真実だと思っている価値判断の中で、体験にもとづいたものはごくわずかしかない。あなたがたは体験するためにこの世に生まれ、その体験を通じて自分を創りあげるはずだった。ところが、他人の体験から自分を創りあげている。他人の体験で自分を創り上げてしまうことだ。
それが、あなたがたが犯してきた「罪」である。ひとりひとりが犯してきた罪だ。
 
あなたがたは自分で体験するまで待たず、他人の体験を(文字どおり)福音として受け入れ、実際の体験をするときには、すでに知っていると考えていることをなぞる。

そんなことをしなければ、まったく違った体験ができるのに。その体験は、教師や情報源のほうが間違っていると教えてくれるかもしれない。
だいたいあなたがたは親や学校、宗教、伝統、聖書を間違っていると考えたがらない。だから、教えられたと思うことを受け入れて、体験の方を否定する。
人間のセクシャリティに対するあなたがたの態度を見ればよくわかる。誰でも、性的体験が人間の行為のなかで最も愛すべき、胸踊る、力強い、昂揚する、新鮮で、エネルギッシュで前向きで、親密で、一体感のあるものだと知っている。
 
それなのに、あなたがたは他人の考え出した性に関する判断、見解、考えのほうを受け入れる。その他人は、自分が得になるから同じ判断をさせたがるのだ。
 
そういう見解、判断、思考は体験と真っ向から対立するのに、あなたがたは教師が間違っていると考えるのがいやだから、間違っているのは体験のほうだと自分に言い聞かせる。
 
その結果あなたがたは真実を裏切り、そのために、破壊的な影響が生じている。
 
金銭についても、同じことだ。大金をもつたびに、あなたはうれしくなった。大金を受けとればうれしくなり、使うと楽しくなった。それは悪いことではない。それ自体が悪であること、本質的に「間違っている」ことは何もない。だが、この問題でも、他の人の教えが深くしみこでいるから、他人の「真実」を認めて、自分の体験を否定する。
 
 
 
感じたままを表現するって大事なことだよ。