本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

谷川岳一ノ倉沢出合

谷川岳一ノ倉沢出合でテントを張って寝ていたら、何やら登山靴を履いた人の足音が近づいてくる。
ちょうど遭難碑がたくさんある前あたりで寝ているとよく聞かれる話だ。
あそこには俗に言う「成仏」しない霊たちがいる。
彼らはまだ自分が死んだことに気付いていないということが原因である。
私たちは死んでもまだ本質的な部分は生きている。
逆に言えば、本質が残り、虚偽の部分が死んで行くという言い方の方がより真実に近い表現である。
彼らが何年もただあの一ノ倉に生きているのか?
死んだ後の世界には概念だけがあって時間という感覚というものが無くなる。
例えば私たちが夢を見ているとき、急に場面が変わったり、夢から覚めて現実には有り得ないと思えることが起こってもそのときはおかしいと思わないだろう。
それは思考と夢の中での現実が同時に起こっているためである。
時間とは思考と経験の間に差があるときに感じられるものなのである。
どんなにおかしいと思われることが思考と同時に起こるならば私たちはそれに疑問を抱かないものなのである。
それと同じことが物質的肉体を失ったものにも起こっている。
だから彼らは毎年同じ時期や条件が揃うと霊として私たちの前に現れるのである。
彼らは何年経ったとしても私たちの時間というものとは関係ない。
彼らの考え方がその場において現実化しているだけなのである。
もし不思議に思うのなら、自分の夢での経験を考えてみればいいだろう。
私たちの死後にも夢と同じ様なことが起こる。
夢と同じ様にコントロールのきかない思考に身を委ねることになる。
そして私たちが夢をコントロールするくらい意識を高めることが出来るならば、もちろん今のような夢を見ることもなくなる。
この世の見方だと思考と経験との差があって当然だと思うのだが、あの世ではこれが反対になることを覚えておいてほすぃ。
真実とは思考と経験との差がまったくなくなることなのだから。。。