本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

どうして幽霊のことを書くかというと。。。

どうして私がここに幽霊のことを書いているかというと、人間には生きる意味というものがあり、生きることは決して無目的な事ではないのだということを知ってほしいからなのです。
 
今現在の社会というものは、生まれた時点でどのような生活環境になるかということがほぼ決まっていて、偶然何かの”ラッキー”なことが起こり、人生の劇的な変化が起こる。。。
そんなラッキーな生き方をみんなしよう!みたいな考え方で占められています。
 
ところが現実の社会ではみんながラッキーな富を得ることなど出来ません。
なぜならば、富を得るためには富を得られない人が必要とされるからです。
みんなが富んでいれば富という概念自体が意味の無いものとなります。
 
そんな現代社会の洗脳を見事に受け切って、それこそが正しい生き方であり、強い者が勝つのが当然であることを信じて、そのような社会に出て働き一生を終えようとしています。
 
ですが人間の一生は偶然というものもなく、全て必然であり、考えること自体も決められています。
 
人類史上の主な発見でさえも偶然の産物などではないのです。
全て予め決められた通りの考えを持ち決められたとおりのことが起こった結果なのでした。
 
それではそんな決まりきった結果から得られるものは一体何なのでしょうか?
 
それは物事を判断できる”機会”を宇宙が与えているといってもいいでしょう。
 
決められた人生の中で(もちろん考えること自体も決められています)、何かいい発見をしたからといって特別に優遇される社会です。
 
このことは人間がいかに宇宙の法則が思考にまで及んでいないかという信念を表しているかがわかります。
思考もある特別な方法で作用し、物理学が物理的現象を予知出来るように思考も予知できるものなのです。
ですから本人にとっては当然のことをしたままなのです。
 
それで差別化をしようとするのが現代人の思考方法なのです。
 
後世の人が見れば、いかに現代人の思考能力が未熟なものであるかがわかると思います。
 
さて幽霊の件ですが、いまだに戦国時代の霊もいわゆる成仏しない霊が多数残っているといわれる現代です。
人間は生まれてくる前から、つまりあの世にいるときから今生の出来事がどのようなものかを知って転生してきています。
ですからどんな悲惨な経験があったにせよ、それを選んだのは自分であるということを自覚する必要があります。
ここで幽霊に成る者は恨みを抱いて死んでいく者であることです。
もちろん普通であっても知識が無ければ死後に幽霊となる場合が多いのです。
なぜならば死んだ後どうすればいいのかわからないからです。
 
それならばここに死後の生命は継続すること、そして生まれてくる前の自分は全て同意してこの世に出てきたということ書いておくべきでしょう。
 
それにもうひとつ付け加えておかなければならないことは、全ての生命の活動は完成するまで何度となく転生や形を変えて生き続けます。
死ぬことは不可能なのです。
 
転生とは神の側から見れば、服を着替える程度のようなものです。
 
本体の部分は服よりも本質的な部分なのです。
 
だから神の側からみれば転生しているのではなく、生き続けているのです。
 
服を大事だと思うのではなく、本質の部分である魂に目を向けましょう。
 
出来事は偶然に起こるものではなく、自らの魂が決めたプランどおりに起こります。
 
自らが同意したプランです。
 
つまりそれを知っていれば許せるのではありませんか?どうでしょうか?
 
 
 
また、魂の目的とは何でしょう?
 
それは本当の自分自身を知るということです。
 
本当の自分自身とは何でしょう?
 
それは魂は神であったということです。
 
それ以上の目的は存在しません。
 
なぜならば宇宙自体が神の反映であるのですから、それ以上のものはないのです。
 
あなた方は神である。私はそれである。アートマ =ブラフマン(梵如一如) 。天の父と私は一体である。
これらの言葉は皆同じ意味を表していますが、本当に知るときは人間を卒業するときでしょう。
 
 
幽霊でこの世に留まるのが目的ではありません。
 
まだまだ先は長いのです。