本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

必然と偶然

ここで何度も書いているけれど、偶然と必然の考察。
 
宇宙は偶然が何%で必然が何%というような構成にはなっていません。
ある法則に基づいてすべてのことは間違いなく必然で起こっています。
 
偶然と言うのはまだ人類にとって「解明」と言うのか、理解できていないものを総称して呼ぶ言葉です。
 
仮に出来事のすべてが偶然に起こっていたとすれば(どう考えてもそんなことはないのですが)、これから何が起こるかまったく見当がつかなくなるわけです。
 
そうかと言ってあるところまでは「必然」で、あるところまでは「偶然」などということは言えないのです。
そのしきい値は人間の既知の知識で理解できる、できないというところに大きく関わってきているのです。
 
つまり人間が理解できるところについては「必然」と呼び、まだ理解出来ていないことについては「偶然」と呼んでいるのに過ぎないのです。
 
それは物理学的な出来事に対してのみ言っているのではありません。
私たちの「思考」とか「感情」についても「偶然」というのはないのです。
宇宙の決められた法則に従って私たちはものごと考えたり、感情的になったりしているのです。
そのとおり、起こるべきことが起こっているだけなのです。
 
ではなぜそこで私たちは自分で「考え」たり、「感情」的になったりしていると感じるのでしょう。
実はそれも宇宙における法則どおりになっているのです。
意識の進化は遅々としたものです。
特に最後の数回の転生までは本当に永いものです。
その中で「出来事」はまさに意識の進化、発達のための道具になっているのです。
出来事が困難であればあるほど意識は進化していきます。
進化とは遠くまで見通す力が増えるということです。
 
それで進化すればするほどすべては偶然ではないと言うことがどんどんと解ってくるわけです。
最終的には人間が今信じている「偶然」というものは無く、すべては必然であることを理解するのです。
 
そしてこうして人間が宇宙に生きていることも偶然ではないということも理解出来るようになるのです。
このように私たちは偶然に生きているのではありません。
進むべき方向がありゴールがあるのです。
 
今回の原発に対して言えば、あの事故は今まで述べてきたとおり偶然に起こっているものではありません。
起こるべくして起こりました。
この事故が起こったということは、人間にとって考えるチャンスなのです。
何を考えるかと言うと、この出来事が「起こるべくして起こっている」という可能性があるということを考えるチャンスなのです。それは「偶然」などというものはない、という認識を得ることです。人類の意識はいまだにそのレベルまで到達していません。それは最高学府と持っているという人たちに対してもなのです。
それは人間には知らない知識があるという事実を突きつけます。
そしてコントロール出来ないものもあるということに気付かせます。
もちろんそれだけではありません。
原発からは常に人間の感覚では捉えることが出来ない毒性の物質が吐き出されているとベンジャミンクレームは言っています。今、霊的な世界のことを話す人があまりいないので彼の意見も参考にしなければならないと思うのです。
この惑星が人間にとって住むことが難しくなれば私たちが進化していく場そのものも無くなってしまうということも理解しなければなりません。
 
正直言うと、あの原発暴走を止めるのは我々人類が原子力を手放す覚悟が出来なければ訪れないのではないかと思います。そうでなければ事故は起こらなかったとも思うのです。
 
 
 
 
生命がなくなれば経済も無くなるのですよ、与謝野君。