それでも宇宙にロケットを飛ばしてみたり、人間が宇宙空間に行ってみたりと人間の基本的な思い込みに対して実現できた内容は桁外れなものでした。
そのようなことから人間は自信を付けてしまったのかもしれません。
最先端科学といえども人間が「理解する」、「判断する」といった元の部分に対しては何も言及することなく「有りき」で議論が交わされているわけです。
「理解する」とは何か?
「判断」するとはどういった事なのか?
その説明を抜きにして宇宙論が語られているのです。
つまり個人個人の「理解」や「判断」というものが「絶対」に間違いなく人類共通の絶対基準のような条件で宇宙の起源もで語られているのです。
私はこのようなことが「おかしい」と思ってしまうのですが、どうなのでしょう?
おそらくそれに気が付かなければ人類全体の意識のレベルはそこに停滞してしまうでしょう。
はっきり言ってしまえば、今の宇宙論は完全に間違った方向に向かっており、私たちが判断した「宇宙」というものが実は判断した側の理解のレベルに合ってしまうということを知らなくてはなりません。
(余談ですがこうやってパソコンに向かって普段気付いたことを纏めようとするとその記憶が飛んでほとんど何も思い出せなくなってしまうのが苛立ちます。)