本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

本当に大事なことは何?

生きているときで一番大事なことは何?
たいていの人は何かやることに追われて立ち止まって考えることはない。

本当に大事なことは意識を発達させること。
それは意識を拡大させること。
身体はそのツールであると、霊的な書物では語られている。

どの人も、どの出来事においても、その出来事がその人の意識を拡大させるという目的において、最適なことが起こっているということを信じることは難しい。
でも相対的な世界とは何か?という問いかけを続けていけば必ずそこに行き着くことが出来る。
「信じる」ことではなく、「知る」ことだということ。

すべての出来事はその当人にとって最高の意識の成長の機会が与えられている。
一人だけでは無く、私たちすべては一体者であり、お互いに協力して成長し合っている。
それは人間を構成している細胞が協力して個人の身体を形成しているように。。。

これを知ることが、今後の新しい文明の出発点になる。
もう今までのやり方では先に進めないということに気付かなければならない。

これを知れば、本当は誰もかわいそうな人などはいない。
加害者などいない。
ただ意識の成長の機会が与えられているということ。
すべてはお互いに協力して共同で決めていることだから。

ものごとが偶然に起こっていると信じていると結果を待つだけの人生となり、結果に振り回されることになる。
ものごとは自分の意識の拡大に最も必要なことが起きていて完全なことが起こっていると信じる(つまり神を信じるということ)と、まったくものの見方が変わり、自分の人生の主人公となることが出来る。
信じていることを変えればいい。
そうすれば結果は変わることになる。

障害や病気を持って生まれてきたこと、あるいは記事にあるように難病になってしまうことには意味があるということを知って欲しい。




「もう限界、お願い」「つらかったね」妻殺害時の会話


 難病の長男の求めに応じて殺して執行猶予となった妻(当時65)から「死にたい」と頼まれて殺害したとして嘱託殺人罪に問われた神奈川県相模原市、運転手菅野幸信被告(66)が5日、横浜地裁で懲役3年執行猶予5年を言い渡された。
 「妻の最期の表情は、本当に楽そうだった。息子のところへ足早に行ったかのように思いました」。菅野被告は2月の被告人質問で話した。穏やかな口調だった。
 死を望む妻と、引き留め続けた夫。3回の公判で明らかになった本人や家族の証言からは、苦悩し続けた夫婦の姿が浮かび上がる。
 昨年10月12日未明。菅野被告は相模原市の自宅で初子さんと向き合った。この夜、初子さんは布団に包丁を持ち込んでいた。「もう限界。一両日中に絶対にやるからね」。菅野被告に訴えた。
 初子さんは有罪判決を受けた後、執行猶予中の06年に自殺を図るなど、長男と一緒に死ねなかったことを悔やみ続けていた。菅野被告もまた、「長男の看病を任せ、自分自身も妻を追いつめた」という負い目を消せないでいたという。
 「妻が息子のために息子を死なせたように、妻のために妻を殺そう」。菅野被告は決意し早朝に2人で家を出た。だが、車中で図った心中は失敗。再び自宅に戻った。
 初子さんは台所から包丁を持ち出した。「お父さんに罪を着せられない」と、自ら菅野被告の前で首を刺した。
 「できないよ」。死にきれずに懇願する初子さん。「いいのか」。問いかける菅野被告に、初子さんは「お願いします。ここだよお父さん」と首を指さした。初子さんは悲鳴もあげなかった。
 最期をみとった菅野被告はこう声をかけたという。「今まで長い間つらかったね。これで楽になったな」。時計は午後2時半を指していた。
 被告人質問で菅野被告は心境を語っている。「家内を殺したことに後悔はないです。しかし、どんな理由があろうと人をあやめるべきではなく、反省しています」