神智学というのは非常に興味深いもので、物理学、心理学、哲学などをエネルギーの観点から見ているものである。
混乱してしまうのは「神学」というものもあって、全く別物である。もっとも私も神学というものは知らないけど。
神智学という名前は神学と同じものとみなされるため、「エネルギーの科学」といった方が良いのかもしれない。
宗教は「神」に対するかなり間違ったイメージを人類に植え付け、脅しの材料としてきた。
そして宗教が創り上げたそんな神のイメージを現代の人類のほとんどが信じ続けている。
神は普遍である。
でもその意味するところをほとんどの人はわからない。
それも宗教が作り上げた「神」のイメージとは程遠いから。
普遍とはどこにでもいるということだ。
しかし、それでもまだ言葉が足りない。
どこにでもいるではなく、どこでも何でも本当は「神」の1部なのだ。
人間を構成している細胞が人間の1部であるように。
神の細胞は宇宙にあるすべての生命により成り立っている。
こういう言い方の方が真実に近い。
しかも私たちが生命と考えていない、鉱物や空間も生命である。
現代の人間は全く認めていないが(そもそも生命か生命じゃないかという議論は過去の人間が作り上げたもので、たとえその境界線のような条件付けがあっても、その根拠は?何なの?という終わりの無い議論となるだろう)、生命じゃないものなんて存在しない。
このように考えれば、神がある特定のところにいるのではなく、普遍という意味も見えてくるだろう。
だから神は全知全能なのである。
全知全能であるためには、このようになっていなければ不可能なのである。
もう一度書いておきますが、人間の細胞一つ一つがその人間をかたち作っている様に、生命の一つ一つが神をかたち作っているのですよ。
しかもその細胞一つ一つの意識レベルまでも認識できる。
意識の焦点を合わせれば何にでもなれる。
それが神意識です。
それで結局何を言いたいかと言うと、
日本人は、もちろん今日本に生まれて生活している人の魂とは、日本人を自慢するために生まれてきたというのではなく、魂が一番成長出来る機会を得るために日本に生まれてきたということ。
日本は日出国と言われているのだが、自分はそのアトランティス文明のまさに日の出となる最初の国となるからだと妄想している。今でも。
中国人や朝鮮人を非難して恥ずかしくないか日本人。
非難している人間は中国人や朝鮮人と同じレベルだということに気付け。