本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

クリスマス続編

前回のクリスマスについての記述は何を言いたいのかわからないものとなってしまいました。
寝る前に書いて、途中で寝てしまったためで読んでしまった方に謝りたいと思います。

それなので再度ここに書いてみたいと思います。

クリスマスの本当の意義はキリスト教徒になることではありません。

キリストが2,000年以上前に実際に現れた、聖書に書かれていたことが実際の話になって現れたということを人類が思い出すためだと私は思います。

聖書を読んでもそんな話は本当だろうか?という疑問が生じても、クリスマスという記念日で、まあほとんどの人はそんなことは思い出さないとしても、懐疑的な一部の人間にとっては毎年思い出すことが出来るのです。あぁやっぱり本当にキリストはいたのだと。
だから2,000年経った今でも忘れないように「西暦」やクリスマスという記念日が残っているのだなと思えるのですよ。
もしそうでなければ、誰もキリストが居たなどと言う話を信じることは出来ないでしょう。

クリスマスが「偶然」に残された記念日になっているのではありません。
それが偶然ではなく、残されるべき記念日であるということならば、キリストがその当時語っていたこともまだ継続しているはずです。
それがキリストの「再臨、再来」です。

神智学ではキリストはおろか神ですらこの世から一度も去ってしまったことはありません。
常に生命の進化を見守り、自分自身を本来の領域へと導こうと私たちの自由意思を鼓舞し影響を与え続けています。
そのような背景にある集団はアトランティスの時代からずっと続いているようで、それがここ数千年の間の人類の意識の進化過程でようやく表の世界へと現れ始めているようです。
そのような背景にある集団を忘れさせないように「聖書」があり、キリストがあり、そしてクリスマスがあるのです。

クリスマスは恋人と過ごす日というイメージだけでは世界中にある可哀そうな体験をしている魂の兄弟を助けることは出来ません。
なぜこのようなことを書くかと言うと、やがては転生したとき同じ体験をする、つまり自分が助けようとしなければ逆の立場を味わうことになるからなのです。
せっかく生きてきたのに誰も助けられない人生なんてもったいないと思いませんか?