本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

昨日のテレビを視た

心霊写真特集をやっていたけど偽物も多いなと感じた。
 
幽霊というのは自分がこの世で何をしてたのかがわからないから出てくるものなのだ。
いいことでも悪いことでも自分や自分の魂が選択しているのだということを理解していない。
いいことが起こったときは自分のせいだとするのに悪いことが起きると他のもののせいにする。
実際はそれらの出来事は自分の意識の成長のために自分の魂が選択していることであって、むしろ悪いことが起こらないと成長の機会が失われてしまう。それは魂の目的ではない。
 
我々ほとんどの人間はものごとが偶然だったり必然だったりで起こっているものと考えている。
あるときは偶然であり、またあるときは必然ということなのだろう。
では偶然と必然の境目などあるのだろうか?
 
それは人間の知性が関係性を認識出来るようになったものだけを「必然」と呼び、いまだに関係性に気付かないものを「偶然」と言っているのに過ぎないことなのである。
そんなのは人間の勝手な思い込みだけであって都合のいいように解釈しているだけなのだ。
 
もっと言ってしまえば、今現在の人間が持っている知性が最高のものであって、「我々にわからないのだから、これ以上わかりませんよ」というようなうぬぼれから来ている思い込みだ。
そのような思い込みがこの「偶然」という言葉の意味の中に含まれている。
 
今以って「偶然」という言葉の意味する人間の考え方に気付かない人類。
そんな人類が最高の知識を持っているなどとどうして言えるのだろうか?
 
そんな環境で人間は育っていくので、人類のほとんどは出来事が自分の魂が引き起こしていることなど知る由もない。
だから死んだ後、どうすればいいのかもわからない。
死んで肉体から意識は去ることが出来るが、そんなことは教わってこなかったので死んだということがわからない。
そればかりか意識があるので、まだ死んでないと思う。
いや、輪廻転生という言葉を聞いたことがあれば「ああ、やっぱりそうだったのか」と納得することが出来るかもしれない。
しかし死んだら「無」になるなどと教わってきたものは、その考え方通り何も考えることをやめてしまいボッーとした状態を過ごすことになるかもしれない。
中には墓の中にある骨壺付近に居座って自分は死んだのだから文字通り無となるように何も考えないようにして何年間もじっとしているような霊もいるかもしれない。
 
 
生命はどのような時でも「意識の成長」が目的であるのだ。
 
すると考え方はこうなる。
「今、これらの出来事が起こるべくして起こっているとしたら、自分の意識を成長させるためにはどうすればいいのだろうか?」
 
これが魂が地上の世界に生きている私たちに与えている問いかけであり、生きることの本当の意味である。
これを知らずに生きているのだから死後の世界があるとも知らずに幽霊としてこの世を彷徨ってしまうのである。
 
現代の人間は仕事をすることが生きることのメインテーマとなっているが、実はそうではない。
仕事を通じて自分の意識を成長させようとしているのだ。
仕事はそれだけの役割でしかない。
 
それがわからないから仕事と称して平気で環境を破壊し、破滅的な行動を取る。
なぜならば人間も環境の一部なのだから環境を破壊すれば自分をも破壊することになる。
それにすら気付いてない。
 
どのような出来事も自分が引き寄せたものであり、それを他者のせいにしても問題は解決されない。
その出来事を通して自分の意識がいかに成長できるかを考えること。
 
それが生命に与えられた目的だ。
 
大腸菌の魂というのは鉱物意識よりも上位の意識群にあると思えるが、人間の魂のように個別化したものでもなく人間の「考える」というメンタルエネルギーの領域までには遠く及ばず感情のエネルギーレベルまでもほとんど入っていないと思う。
それを意識することすら人間には難しいだろう。)