本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

幽霊をいまだに信じない人

昔話になってしまいますが、以前クライミングジムに行っていたとき、こういう人がいるんですよね。
 
たとえば、
普通クライミングルートの難しさというのは、一番難しい核心部といわれるグレードで決まってしまいます。
 
ジムでの難しさはそのルートグレードに対して同じように下から続きます。
 
どういうことかというと、易しいルートではその下の方から上の方までずっと易しいわけです。
 
一方、難しいルートというのは下から上まで難しさが持続するように作られているのです。
 
途中で完全に休めてしまう場合にはグレードが易しくなってしまうので、そのようなルートは普通は設定者は作りません。あるとすれば特殊な動きを含めたルート(ランジなど)になるでしょう。
 
そんなルートの中でも特に難しくなると”核心部”といわれる難しい部分をこなすところが出てきます。
 
ところが、ある種のタイプのひとたちはその難しい核心部が出来なくてインチキや隣にある易しいホールドを使ってその部分だけを回避し登ったことにしてしまうのです。
 
つまりそのルートを”登った”ことにしてしまうのです。
 
同じルールに則りやっているのですから、こんなインチキを認めるわけにいきません。
 
でも見ている限り多くの人がそのようなことをやっているのです。
 
そして平気な顔をして”あのルート登ったよ”と言うのです。
 
私なら絶対にこんなことはしません。
 
核心部という難しい部分をこなさないで、登ったことにしてしまうなんてまるで嘘つきではないですか?
 
でもクライミングではこういう人がたくさんいます。
 
日本には侍がいたということですが、これが侍のとる態度でしょうか?
 
病気です。
 
 
ところでここまでグダグダと書いてきましたが、実は幽霊を信じない人というのがこのタイプに似ているのです。
 
幽霊を信じない人というのは本当に幽霊を怖がるのにその怖さの原因を知ろうとしません。
 
怖がるのならその恐怖心の元を知ろうとすればいいのに、その対象自体を否定します。
 
臭いものには蓋をするというやり方ですな。
 
原因を突き止めず、蓋をするだけでいいやというその考え。
 
どこか、さっきの話との共通点を見出してしまうのです。
 
幽霊を信じない人というのは信じないことで自分の中にある恐怖心に蓋をしようとする人だと私は結論付けます。
 
自分の今の状況を認めようとしない人です。
 
その様な人はとても”侍”の精神を持っているとは思えません。
 
潔いとは言えないという意味です。
 
幽霊はその人の能力に応じて見えたり見えなかったりします。
 
自分が体験できないから”そんなものは無い”と思う人は人間の感覚というものが人それぞれ違うものだということを知っておくべきです。
 
全部自分と同じなんだと思う人はその回りのひとが非常に迷惑を被ります。