本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

「速度違反だ」並走しモデルガン 脅迫容疑で警官逮捕

「 名古屋市内の高速道路で隣を走る車の運転手にモデルガンを向けて脅したとして、愛知県警は6日、県警運転免許課の巡査部長遠藤孝容疑者(50)=岐阜市学園町3丁目=を脅迫の疑いで逮捕し、発表した。「以前から(男性の車が)速度違反を繰り返していたので、脅そうと思った」と容疑を認めているという。
 天白署によると、遠藤容疑者は6日午前6時5分ごろから約10分間、名古屋第2環状道上り線の楠インターチェンジ(IC)―植田IC間の追い越し車線を走っていた会社員男性(28)の車に私有車で並走。窓を開けて男性にモデルガンを向け、脅した疑いがある。
 男性は車内から110番通報。天白署員が、植田IC近くの国道302号に停車して男性と言い争う遠藤容疑者を発見した。遠藤容疑者は男性に「警察官だ。速度違反だぞ」と話していたという。」
 
 
 
この記事の所感:
先ず程度の差はあるが、この国の現状では誰もが速度違反をしている状況である。
もし速度違反をしていないとすれば、後続の車の状況をまったくと言っていいほど気にしない人だろう。
 
この場合も他の状況とすべて同じになってしまうが、すべての人が速度違反をしているのにどこからが
OKでどこからが駄目などという境界線などというものもない。
もちろん「そんなの常識的に言ってだよ」などと言う人も多いと思うが、そんな常識なども存在しているわけではない。
 
おそらく遠藤孝容疑者は仕事柄警察という地位を利用して一般人よりも自分の方が偉いという感覚を持っているのだと思う。それだから他人を罰することが出来ると思ったのだ。そうでなければ罰することは出来ない。
そのような職種につくことによって、自分がなにか偉いものになったという感覚になるのはこの例から見て取れると考えられる。
彼はそれを正義感だと思っているのだろう。
「法律に背いたものは罰せられなければならない。」
そう思っているのかもしれない。
法律の監視者。
だけど、前にも書いたが誰もが速度違反をしているこの国の状況でそんなことを考えているようなら、実際には彼は「認められたい」という思いが現象となって現れた事件だったのではないかと思う。自分の存在が認められたい、自分が偉い存在だと認められたい、そんな思いを抱いているとこのような事件が普通に起こってしまうということなのだ。
 
この事件は容疑者だけの責任なのではなく、社会の責任でもある。
個性を認めない社会では、それを我慢した心の思いが現象化することによって、このような事件はよく起こることなのである。
 
我慢した思い(想い)というのは蓄積され、いつかは現象(現実化)となって現れるものなのだ。