本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

臭いものに蓋をするだけでいい

4/15のものをそのまま引用します。


「知る」ということは過去に自分で「知った」ものに関連付けることができた、ということ。
でもそれは古い知識に基づいたもので、新しい見方を与えるものではありません。
知った後の最終地はすべて「わからないもの」。
そう。わからないものが現在の私たちの思考の中心なのです。
わからないところまで行った時、そこで私たちは納得しているのです。
私たちは納得したとき、「わかった」と思ってしまうのです。
実はわかっていないのです。
「わかった」と思ってそれ以上の追及を諦めているのです。
そこまでは既存の知識で到達できました。
ところがそこから先は未知の世界でした。
すると私たちは追及をやめてしまいます。
それが「納得する」ということです。
この状態は理解の最初から起こっています。
つまり最初から「ここまでは既知のものである」という限界点を自分で決めてきたこと。
それが「知識」なのです。
「知った」「わかった」ということは、本当は自分が過去に「知りません」「わかりません」と宣言したことに対してどのような相対的な関係があるかということを新たに宣言しているだけなのです。
それはある意味、理解がうやむやにされているのです。
これで納得されては困ります。
私はこれでは納得できない人間なんです。

いつまで経っても世の中が住みやすくならないのは誰かが利権を握って離さないようにしているためです。
そのような経済構造を作っているからなのです。

単純作業の自動化にしても自動化になったのはよいが、それで人間が楽になったわけではなく返って仕事がなくなり生活できなくなる人が増えてしまった。

本当に私たちが向かうべき方向はこのようなものではありません。
権力を持っている者はそれを維持しようとして誤ったやり方を推し進めています。

本当は違うのです。
自動化が進めば、それに携わる時間を少なくするだけで良いのです。