地下鉄サリン事件などを引き起こしたオウム真理教の死刑囚13人の死刑が7月に執行され、大きなニュースとなった。小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で、「死刑」に関する本や映画を数多く手がけている森達也さんが死刑制度について解説してくれた。
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「人を殺してはいけないという理由で、なぜ人を殺すのですか」
数年前にオーストラリアから来日したばかりの女性から、そう質問されたことがある。オーストラリアはおよそ30年前に死刑制度を廃止した。もちろん彼女はそのあとに生まれている。だから、死刑という刑罰は近代以前にあった制度だと思っていたという。ところがたまたま来日した日本で、死刑制度が残されていることを知って彼女は驚いた。なぜいまだにそんな制度がこの国に残されているのですか、と。
そう聞かれても答えられない。だって僕もずっとそれを考えている。だからあなたにも考えてほしい。死刑とはどんな制度なのか。どんな意味があるのか。
死刑をやめた国はオーストラリアだけではない。世界の3分の2強。残している国の多くはアジアとアラブ諸国。先進国はほぼ死刑を廃止している。でも日本は死刑を止めることができない。その理由は何か。
罪を犯した人は罰を受ける。それは当然だ。でも死刑以外の罰の多くは、裁判で決められた期間、刑務所に拘束される。自分の犯した罪について考える。そして更生して社会に戻る。でも死刑は社会に戻ることを認めない。人の命を奪う。その理由は何か。
■死刑に賛成する人の理由は?
死刑を残すべきと主張する人の多くは、まず、死刑には犯罪を抑止する効果があると説明する。つまり死刑があるから凶悪な事件が増えないとの論理だ。でもそれが事実なら、死刑を廃止した多くの国は治安が悪化するはずだ。ところがそんな統計はほとんどない。むしろ死刑廃止後に犯罪が減少したとの報告もある。社会学的には死刑の犯罪抑止効果は認められないとするのが定説だ。
次に死刑を主張する人は、人を殺したのだから自分が殺されることは当たり前だ、と言う。だが、すべての人が平等な権利を持つことを前提とする近代司法は、身体に苦痛を与える拷問や刑罰を禁じている。死刑もそれらと同じように考えるべきではないだろうか。またもし誤った裁判の結果として死刑が行われれば、取り返しのつかないことになる。
そして最後に、死刑は残された遺族のためにあるのだと彼らは言う。この声がいちばん多いかもしれない。でも、それならば、遺族がいない(つまり天涯孤独な)人が殺された場合、悲しむ遺族はいないのだから罰が軽くなってよいのだろうか。そうであれば命の価値が、家族や友人が多いか少ないかで変わることになる。やはりそれは近代司法の原則に反している。いや近代司法を持ち出すまでもなく、それはおかしいとあなたも思うはずだ。
処刑されたオウムの死刑囚のうち6人に、僕は面会して手紙の交換を続けていた。誠実で優しくて穏やかな人たちだった。でも彼らが多くの人を殺害する行為に加担したことも確かだ。だから悩む。面会しながら混乱する。
1カ月以内に13人の死刑が執行されたことで、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは7月、「報復で彼らの命を奪っても、真相解明にはつながらないし、日本社会が安全になるわけでもない」という声明を出した。ヨーロッパ連合(EU)の加盟国なども非難する声明を出している。
僕は死刑を廃止すべきと思っている。でも日本の多くの人は死刑に賛成している。その理由のひとつは死刑を知らないから。死刑という言葉は知っていても、誰も直視しないから。
だから最後にお願い。知ろう。見つめよう。この制度を。そして本気で考えよう。(解説/作家、映画監督・森達也)
【キーワード:オウム真理教】
死刑囚だった松本智津夫氏が「麻原彰晃」と名乗り、1980年代に始めた宗教。松本氏は空中に浮かぶ「超能力」があるなどとアピールし、若者を中心に信者を集めた。89年に東京から宗教法人と認められた一方で、この年、オウム真理教の被害対策に関わっていた坂本弁護士の一家を殺害した。
95年3月に東京都内の地下鉄に毒ガスの「サリン」をまき、13人が亡くなり、6千人以上が負傷した。一連の事件後、松本氏を始め、多くの幹部・信徒らが逮捕された。死刑となった13人を含め、190人が有罪判決を受けた。教団はその後、分裂した。
※月刊ジュニアエラ 2018年11月号より