本当のところはどうなの?のブログ

本当のところはどうなの???

「ゼロ金利解除」の意味を分かっているのか

中国経済の先行き不透明感を背景に、世界的な株式市場の乱高下が続いている。左派系マスコミは、ここぞとばかりアベノミクスの破綻や修正を訴えている。そんな主張をまじめに受け取って、その通り「政策」を実行すると、どんな結果を招くのか。
たとえば、朝日新聞は8月26日付けで「世界同時株安 緩和頼み修正の試練だ」と題した社説を掲げ、今回の同時株安には2つの原因があると指摘した。「中国経済の減速」と「『中央銀行バブル』の終わりを市場を覚悟し始めたこと」の2つである。
前者はその通りだろう。問題は後者である。
中央銀行バブル」とは聞き慣れないが、朝日によれば「先進国の中央銀行がこぞって乗り出した大規模な金融緩和」だそうだ。バブルが起きていたのは世界全体ではなく中国だけなので、それを一括りに中銀バブルというのはミスリーディングだが、ひとまず措く。
朝日によれば、各国中銀の金融緩和が世界株高を演出してきた。そんな「異例の策は金利による市場の調整機能を損ね、政府の借金依存を助長するといった副作用がある。永久に続けることはできない」。「だから米国が年内にもゼロ金利を解除し、利上げに踏み切ろうとしているのは当然」という。
米国がゼロ金利を解除しようとしているのは景気がいいからで、べつに借金依存の副作用を心配しているからではない。そこからして認識がズレているが、問題はその後だ。
利上げに踏み切った結果「マネーの巻き戻しが株安につながるとしても、それはいつか通らねばならない試練である」と言っている。さらっと書いているが、ここに朝日のホンネがにじみ出ている。彼らは利上げで株安になっても仕方がない、と思っているのだ。
朝日が利上げを要求するのは米国だけではない。日本に対しても同じだ。朝日によれば、金融緩和を第1の矢に据えた「アベノミクスの限界も明らか」である。だから「副作用が深刻にならないうちに量的緩和の縮小など正常化の道を早く探ることが必要だ」と訴えている。
毎日新聞も似たようなものだ。25日付け社説は「株安連鎖 緩和依存の矛盾が出た」と題して、こう書いた。
「ゼロ金利量的緩和といった極端な政策が長期化すれば、株価や不動産価格のバブルが生じる。あふれ出したマネーがリスクを度外視し、より高い利回りを求めて、新興国はじめ世界のさまざまな市場で過熱を招くためだ」
ようするに、両紙は「金融緩和をさっさと止めろ」と主張しているのである。金融緩和をすると政府が借金依存体質になったり、バブルを招くからという理由である。
これは正しくない。日本政府の借金体質は官僚主導政治の下で続いた役所の無駄遣いが本質的な理由である。株高は中国を除いてバブルというほどの水準でもない。
当の中国は上海株暴落の後、どう対応しているかといえば、中国人民銀行が25日、貸し出しと預金の基準金利を0.25%引き下げた。引き下げは14年11月以来、5回目だ。
9月6日からは人民銀行が市中銀行から強制的に預かる預金の比率である預金準備率も0.5%引き下げる。いずれも金融緩和を一段と強化する対策である。だから朝日や毎日は「中国の政策は完全に誤っている」と主張しなければいけないだろう。
米国はどうか。連邦準備制度理事会FRB)は9月に利上げする構えだった。朝日は政府の借金体質を改めるために利上げすべしと思っているようだが、FRBが利上げを検討してきたのは、そんな理由ではない。先に述べたように景気が良くなってきたからだ。
だが、ここへきて流れが変わった。同時株安で世界経済が動揺すれば、米国も多かれ少なかれ打撃を被る。となればFRBは当然、利上げが難しくなる。実際、市場では一転して「9月利上げは先送り」という見方が強まってきた。
たとえば、元財務長官のローレンス・サマーズ氏はフィナンシャル・タイムズへの寄稿で利上げは「重大な過ち」と指摘した。その後、ツイッターでは利上げどころか「量的緩和を再開すべきだ」と主張している。
もしもFRBが9月の利上げを見送ったら、朝日や毎日はやはり「FRBは間違いだ」と主張しなければならない。私は利上げ見送りの可能性が高いとみる。朝日や毎日の社説がなんと書くか、いまから楽しみだ。

景気が悪化するとき金融緩和や財政出動(歳出拡大だけでなく減税もその1つ)で下支えするのは、経済政策のイロハである。だから、私は先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/44837)で「10兆円規模の景気対策でもおかしくない」と書いた。
日銀の追加金融緩和も考えられるが、政権与党内では景気対策の必要性がとりざたされている。日本経済新聞は27日付け社説で「金融市場の混乱があったからといって、一時的なカンフル剤のような景気対策を打つことが政府の役割ではない」と書いた。
日経は現状を単なる金融市場の混乱にすぎないととらえて、景気の転換局面ではないという認識のようだ。これもまた後で正しかったかどうか、問われるだろう。ついでに言えば、日経のスタンスは財務省とまったく同じスタンスである。日経はそういう新聞である。
さて、政策のセオリーに反して朝日や毎日が主張するように、世界経済が動揺している真っ最中に各国が金融引き締めに動いたら、どうなるか。言うまでもなく株価はいっそう暴落し、景気もあっという間に底割れしてしまう。
それは朝日も「株安はいつか通らねばならない試練」と書いているくらいだから、ご承知だ。つまり、朝日は「引き締めで株価が下がってもいい」と本心から思っているのである。毎日は「株安でも仕方ない」などとは書いていないが、同じ認識だろう。
株価が下がれば、企業はもちろん家計も困るのはあきらかなのに、両紙はどうして「それでもいい」と考えるのだろうか。ちょっと理解し難いところだが、あえて両紙のホンネに迫ってみたい。こういうホンネの話はなかなか表に出てこない。
あまりにばかばかしいから、だれも書かない。というより、左派リベラルの世界で「権威」になっている両紙に真正面から挑戦するのを避けている、というのが本当のところではないか。
ずばり答えを言えば、朝日や毎日は「景気が良くなる必要はない」「株価が高くなる必要もない」「国民はゼロ成長を受け入れるべきだ」と思っているのだ。これが1点。
そのうえで、政府や日銀の政策について言えば「政府は借金財政から脱却すべし」「日銀もゼロ金利は異常であり、そこそこ(たとえば1~2%程度?)の政策金利を維持すべきだ」と思っている。それが正しい政府や日銀の姿と信じているのである。

まず最初の「景気が良くなる必要はないと思っている」というのは本当か、と思われる読者がいるかもしれない。もちろん朝日や毎日は表立って、そんなおバカな主張を唱えたりはしない。一見もっともらしいオブラートに包んだ言い方をするから、なかなかホンネが見えにくい。
だが、朝日は「株安は通らなければならない試練」と書いたくらいだから、実は景気悪化だって「通らなければならない試練」くらいに思っている。私はそう思う。ゼロ成長容認について言えば、これは本当である。かつて朝日は堂々とゼロ成長を勧める社説を書いた。
ゼロ成長論が左派リベラルの間で一時、大流行したのは、覚えている読者もいるだろう。それは、実はいまも生きている。たとえば民主党枝野幸男幹事長は著書『叩かれても言わねばならないこと 「脱近代化」と「負の再分配」』東洋経済新報社)で「成長はもはや幻想だ」と書いている。
枝野幹事長と同じように、朝日や毎日は実はいまでもゼロ成長が正しいと思っているのではないか。だから株安も試練などと言えるのだ。国民の側から見れば、これは「株安も景気低迷も受け入れてひたすら耐えるべきだ」という「しばき論」にほかならない。
そういう「しばき」に耐えぬいて生き残った企業や家計が正しく立派という理想を抱いている。これは、かつて学校のスポーツ活動で批判された「シゴキ論」とそっくりだ。
雨の日も風の日も、もちろん太陽が照りつける暑い日も、休みもとらず水も飲まず、ひたすら先輩のシゴキに耐えぬいて生き残った者が立派な選手というシゴキ論である。
朝日や毎日がいまどきシゴキ論を礼賛するとは思えないが、国民生活や経済運営では事実上、シゴキ論を展開している。私は「株高を喜ぶ左派リベラル」という存在に出会ったことがない。
彼らは総じて「株で儲ける」などというのは「けしからん」と思っている。おカネは汗水流して働いて得るもの、それが正しい労働者の姿であって、マネーゲームで儲けるのは邪道、正道を外れた外道と信じているのだ。
役所や企業を取材している経済部記者がそんなことを表でマジメな顔をして喋ったら「お前はバカか」と思われるから、そんなホンネは口が裂けても言わないが、心の中では密かにそう思っている(ついでに言えば、東京新聞にはそういう論説委員や記者がたくさんいる)。
そういう新聞の言うことを信じて、そのまま政策を遂行したら、日本はあっという間に奈落の底に転落するだろう。それは確実である。」

ほとんどの人は気付いていないようだが、市場経済は意図的に貧困を作り出し、環境を破壊するシステムである。市場経済の求める究極の答えは地球生命環境の破壊である。
市場経済では目先の事だけしか考えられなくなり、どんどん地球の環境は破壊され手に負えないことになるだろうう。
そんなシステムは早く潰してしまえばいいのだ。
多分、今までのやり方しか知らないから新しいやり方が出来るなどとは思ってないのだろう。